映画『ヒューマン・フロー 大地漂流』公式サイト

23ヵ国40ヵ所もの難民キャンプと国境地帯を巡る 本作で訪れる国と地域

※地図上のピンの位置は、首都・中心地を指しています。

ヨーロッパ

ドイツ
Germany

15年、ドイツは欧州全体の半数近くとなる難民申請者を率先して受け入れ(全ヨーロッパで受け入れた申請者の48%にのぼる)、いわゆる「国境開放政策」の象徴となった。その後、右派による難民への攻撃により、同国における難民の身の安全はより危ういものになっている。

ギリシャ
Greece

エーゲ海上で中東とヨーロッパの中間に位置するレスボス島は、15年から16年の間に数百万人の難民の通過点となった。2017年には14,011名の難民がギリシャにおり、43,979名がレスボス島に留まっている。ほとんどの者は引き返すことも、避難所を見つけることもできない状態である。

フランス
France

ヨーロッパに難民が殺到した15年から16年、海辺の都市カレーに1万人収容の仮設難民キャンプが設けられたが、かつてゴミの最終処分場だった土地に作られたキャンプの生活環境は劣悪であった。既にこのキャンプは閉鎖され、カレーに住んでいた難民の多くはパリの路上生活者となっている。

マケドニア
Macedonia

バルカン半島に位置するマケドニアもまた多くの難民の到着地である。16年に突然ギリシャとの国境を閉鎖。多数の難民が西ヨーロッパへの移動を試みる経路「バルカンルート」が閉ざされ、数千人が仮設キャンプで足止めされている。

ハンガリー
Hungary

ハンガリーはヨーロッパに来る難民に対して厳格な態度を取った。国境には物々しい有刺鉄線を含む厳重な警備を敷いて交通を遮断、保護を求める者をその場で足止めした。国内に逃れた人々の多くは警察によって拘留され、これらは人権活動団体の非難の的となっている。

イタリア
Italy

サハラ以南のアフリカおよびリビアから15年に153,436名が、16年には181,436名が地中海を渡りイタリアにやってきた。しかしイタリアへ至る海路は、最も死者を出している危険なルートであり、16年には4,576名以上が命を落としている。

セルビア
Serbia

ハンガリーと国境を接するEU非加盟国のセルビアは特に17年に難民の移動拠点となった。EUとトルコ間の協定によってボートで移動する難民の数が減少したことにより、セルビアを通過する「バルカンルート」の利用が増えた。17年初頭には毎日150人の難民がセルビアに入国したと推定され、そのうちの少なくとも半数が保護者のいない未成年者である。

スウェーデン
Sweden

スウェーデンは先進国の中で人口比の難民受け入れ率が最も高い国である。大多数はシリア、続いてアフリカ、バルカン半島、アフガニスタン、パキスタンから来ている。それでも難民認定を受けることは簡単ではなく、過去2年間で191,000名が難民申請をしたが、そのうち6万から8万件は却下される見通し。

スイス
Switzerland

バルカン半島で国境封鎖が相次ぐ中、イタリアの到着点からドイツを目指すアフガン難民はスイスを通ることが多くなった。スイスの難民申請プロセスは公正で効率的であるものの、数千人の難民がイタリアに押し戻されているとの報告があるほか、世論も難民受け入れに対して賛否両論分かれている。

中東

アフガニスタン
Afghanistan

長きにわたる戦争で何十年にもわたって不安定な情勢が続くアフガニスタンはシリアに次いで難民の数が多い国である。ところが16年、パキスタンは数十万人のアフガン難民の強制帰国を開始した。国内避難民たちは、治安や基盤設備の欠乏が続く中、再出国を試みている。

ガザ
Gaza

ガザ地区には130万人にのぼる国を持たないパレスチナ人難民が居住しており、世界有数の人口密度のキャンプで57万6千人が生活している。イスラエル側からの封鎖により07年以降は移動と商取引が制限され、事実上「閉じ込められた」状態である。80パーセント以上の難民が人道支援に頼って命をつないでいる。

イラク
Iraq

イラクは難民の出身国であるとともに難民の受け入れ国でもある。アメリカが主導した03年のイラク侵攻以降、100万人以上のイラク人が住む場所を失い、今なお247,476名が避難生活を送っている。一方で、主にシリアから277,000名の難民を受け入れている。

イスラエル
Israel

イスラエルとエジプトは07年からガザ地区を封鎖し、100万人以上の難民の基本的生活必需品の供給を断っている。緊急医療処置の目的で2,600名のシリア人難民の入国を認めたものの、正式な難民受け入れのプログラムは一切ない。西洋諸国の中では最も受け入れ率の低い国の一つである。

ヨルダン
Jordan

48年および67年の中東戦争の後、ヨルダンは200万人以上のパレスチナ人難民を受け入れた。世界の難民人口の大多数をパレスチナ人が占めている。シリアと隣接する国境は16年に閉鎖され水不足に見舞われている。世界最大のシリア人難民キャンプであるザータリを有している。

レバノン
Lebanon

シリア内戦から逃れてなだれ込んできたシリア難民が現在、レバノンの人口の約4分の1を占める。レバノンは48年からパレスチナ難民も受け入れており、およそ45万人のパレスチナ人が12か所のキャンプに分かれ、限られた資源で生活している。

トルコ
Turkey

3,000万人のクルド人が、クルディスタンとして知られるイラン、イラク、シリア、トルコにまたがる一帯に居住している。15年、トルコ軍の制圧により50万人に上るクルド人が住む場所を失った。一方でトルコは250万人のシリア難民を受け入れている。16年3月、トルコとEUは難民のヨーロッパへの流出を防ぐための協定を結んだ。EUはトルコに難民を戻すのと引き換えに、60億ユーロの支援金とトルコ国民のヨーロッパへのビザなしでの訪問を約束した。

アフリカ

ケニア
Kenya

ケニアには世界最大級の難民キャンプであるダダーブがあり、内戦、干ばつ、過度な経済的困窮から逃れてきたソマリア、エリトリア、南スーダン出身の245,000名を上回る難民を受け入れている。11年、東アフリカの干ばつにより、ダダーブの難民数はおよそ50万人に跳ね上がった。

アジア

バングラデシュ
Bangladesh

バングラデシュは16年現在、仏教徒が多数派を占めるミャンマーでの迫害と軍事弾圧を逃れた232,974人のイスラム教徒ロヒンギャの難民を受け入れている。ロヒンギャの多くはバングラデッシュの極貧のキャンプに足止めされ、厳しい環境の中で生存もままならず、移動も労働の権利も持たない状況である。

マレーシア
Malaysia

ミャンマーでの迫害を逃れてきたロヒンギャの多くはマレーシアに避難。17年に難民申請をした約6万人のロヒンギャを受け入れているが、「難民の地位に関する条約」の調印国ではないため、難民を保護する公式の法律は存在しない。

パキスタン
Pakistan

79年のソ連(現ロシア)のアフガン侵攻以来、パキスタンは300万人に上る難民を受け入れている。しかし16年夏、アフガン難民の一斉強制送還を開始すると発表、60万人以上の難民が強制送還され、一部は資源の乏しいキャンプに送られた。200万人を上回るアフガン難民が現在もパキスタンに残っている。

タイ
Thailand

数十年にわたりタイはミャンマーからの難民の目的地だった。国境沿いには、迫害された少数民族のカレン族が多くを占める難民キャンプがあり約102,251名を擁する。15年、マレーシアを目指す数千人のロヒンギャ難民がタイへ船でたどり着いたが、難民に基本的権利を与える法が存在しないため、彼らは高い人身売買の危険にさらされている。

アメリカ

メキシコ
Mexico

毎年約50万人の中央アメリカの人々が安全を求めてメキシコ国境を越える。その多くはアメリカを目指すも、トランプ政権の移民と難民に対する取り締まりや国境沿いに壁を建設するする計画によりメキシコに避難するようになった。メキシコへの難民申請は2万人に届くが、16年メキシコが認定したのは3人に1人であった。

アメリカ合衆国
United States of America

連邦議会が80年に難民法を成立させて以来、約300万人の難民がアメリカに再定住している。近年、トランプ政権による難民プログラムの中止要請、イスラム圏の6ヶ国からの出入国禁止、強制送還の増加、メキシコ国境沿いの壁の建設計画などにより、難民政策はUターンを迎えている。中央アメリカから女性や保護者のいない子どもたちが命の危険を伴う北への避難を始める前に母国から難民申請を出せるプログラムを施行していたが、今日、そのプログラムも中断されている。